兵どもが夢の跡(とん挫した再開発計画) - 鹿島田・新川崎WALKER

新川崎は、世が世なら今の小杉を凌ぐ街になっていた?

鹿島田駅西口地区の再開発事業といえば、パークタワー新川崎と、生活利便施設(新川崎スクエア)と、駅間ペデストリアンデッキと、道路(歩道)の拡幅が思い当たるが、実は、もともとはもっと壮大な計画があったことはご存じだろうか。

もともとの再開発エリアには、鹿島田駅から新川崎駅に向かって歩いていく途中のセブンイレブンで二股に分かれる、広い道と、「おらんだ屋」まで通じる細い商店街路地に挟まれた地区や、鹿島田駅前で現在仮設店舗が建っているあたりまでが含まれていた。

結局、もろもろの事情でそのエリアを対象から外し、三井ビル横の緑地・空地と道路沿いの一部の商店街のみを再開発に回した形になったわけだが、もし元の再開発が実現していたらどうなっていたのだろうか。

川崎市の資料で見る、鹿島田・新川崎夢の跡

川崎市役所が昔作った、このエリアの再開発事業の紹介パンフレットを知り合いから入手した。

どこにも年月が書いてないのだが、おそらくは1990年代半ばぐらいのものではないかと推察する。

表紙イラストの左手が鹿島田駅、右手側が新川崎駅となるが、いまの八百屋さんあたりにタワーマンションが建つはずだったらしい。

さらに、新川崎スクエアあたりに業務ビルが建つはずだったようだ。

駅間のペデストリアンデッキ連絡は、現行よりも短絡化されている。

 

 

 

 

 

 







 

 

 

 

こちらは、ペデストリアンデッキとアトリウム空間のイラスト。いや~、ラゾーナやグランツリーも真っ青なイメージパースだ。これが今から20年も前に構想されていたと思うだけで戦慄。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

 



 






しかし、公益施設っていったい何だったんだろう。

現在の新川崎スクエアには、もともと病院が入る構想があり、途中でとん挫して施設規模の変更が行われたといわ れているが、この当時の計画ならば、もしかして区役所や市民館などが移転してきていたのだろうか。あと、オフィスビルにはちゃんとテナントは入ったのだろうか。想像は尽きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








 

 

 

 

これを見ると、新駅構想はちゃんとあったことがわかる。

インテリジェントビル地区→三井ツインタワー

都市型住宅開発地区→パークシティ

くらいはそのとおりだけど、後はどうなんだろうか。

青線の、「都心軸の形成」のほうの左右矢印は、塚越踏切~小倉陸橋の道なのかと思ったのだが、それより上に新駅となっているので、これでは近すぎる。

とすると、江ヶ崎跨線橋のことなのだろうか。で、今のパイオニア本社あたりに駅ができていたのか…でも近いよな。

だからといって、新川崎廃止なんてもっと荒唐無稽なわけで。


なお、この町が完成していたら、グランツリー真っ青な規模だったことは、意外に知られていない。


トップに戻る パソコン版で表示